原爆資料館から如己堂へ
2011年 08月 18日
午後は、原爆資料館へ。
原爆資料館では、大きな写真集を買いました。

その後、爆心地へ。





平和祈念像。

浦上天主堂近くの道路脇には、長崎の鐘の曲が。

作曲をした古関裕而さんは、福島の出身でした。
その福島は、今、原発の事故によって放射能被害に見舞われています。
もしも、今、古関さんがご存命だったら、どんな気持ちを持たれたでしょう。
浦上天主堂。
中のステンドグラスが美しい、静かな教会。

静かで、ほんのり薄暗くて、
ステンドガラスから明かりが差し、
キリスト教を信仰していないワタシでさえ、敬虔な気持ちになるのです。
そして、足を伸ばして、念願だった如己堂へ。




永井隆博士資料館では、文庫本を購入。

如己堂を出て、タクシーでホテルまで帰りました。
長崎着後、3度目のタクシー乗車。
そして、初めて気さくな運転手さんに当たりました。
原爆のことについても、話してくれました。
怒りのヒロシマに対して、長崎は「祈り」。
爆弾の落下地が、浦上天主堂近くに落ち、多くのキリスト教信徒が亡くなったことで、
「祈り」と言うのだと。
また、
いまだに、原爆のことを語りたくない人も大勢いること。
その原爆を知っている人も、年々少なくなっていくこと。
この運転手さんに、どこから来たのか聞かれ、京都と答えたところ、
「ぼくは、京都産業大なんです。」とおっしゃってました。
京都と長崎。
遠いのですが、こんな交流があると、一気に距離感がなくなります。
そうそう、
永井博士のお嬢様・茅乃さん、亡くなる前は、京都府八幡市在住でした。
原爆資料館では、大きな写真集を買いました。

その後、爆心地へ。





平和祈念像。

浦上天主堂近くの道路脇には、長崎の鐘の曲が。

作曲をした古関裕而さんは、福島の出身でした。
その福島は、今、原発の事故によって放射能被害に見舞われています。
もしも、今、古関さんがご存命だったら、どんな気持ちを持たれたでしょう。
浦上天主堂。
中のステンドグラスが美しい、静かな教会。

静かで、ほんのり薄暗くて、
ステンドガラスから明かりが差し、
キリスト教を信仰していないワタシでさえ、敬虔な気持ちになるのです。
そして、足を伸ばして、念願だった如己堂へ。




永井隆博士資料館では、文庫本を購入。

如己堂を出て、タクシーでホテルまで帰りました。
長崎着後、3度目のタクシー乗車。
そして、初めて気さくな運転手さんに当たりました。
原爆のことについても、話してくれました。
怒りのヒロシマに対して、長崎は「祈り」。
爆弾の落下地が、浦上天主堂近くに落ち、多くのキリスト教信徒が亡くなったことで、
「祈り」と言うのだと。
また、
いまだに、原爆のことを語りたくない人も大勢いること。
その原爆を知っている人も、年々少なくなっていくこと。
この運転手さんに、どこから来たのか聞かれ、京都と答えたところ、
「ぼくは、京都産業大なんです。」とおっしゃってました。
京都と長崎。
遠いのですが、こんな交流があると、一気に距離感がなくなります。
そうそう、
永井博士のお嬢様・茅乃さん、亡くなる前は、京都府八幡市在住でした。
by akanesasu0124
| 2011-08-18 18:02
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