1月17日:阪神淡路大震災から30年
2025年 01月 17日
30年前の今日、私は発熱(インフルエンザ)していた。
「勤務は無理だろう。8時前になれば、欠勤する電話を職場に入れなければ」
と思いながら、うつらうつらしていた。
突然、ドーンというような突き上げ。
直後の激しい揺れ。
大学時代を東京で過ごし、地震には慣れているつもりだった。
しかし、この日の朝の揺れは、東京で経験した揺れとは全く違っていた。
食器棚から皿が落下し、割れていく音。
システムコンボのスピーカーが、右、左と吹っ飛んでいく。
隣の寝室ではタンスも左右に揺れ、
後から確認すると、大型冷蔵庫が20センチほど移動していた。
激しい揺れは数十秒。非常に長く感じた。
当時、住んでいたのは、京都府南部で、今住んでいる場所より少し南の地域。
震源地からはかなり離れていたが、それでも経験が無いほど揺れた。
夜が明けていく。
つけたTVからは、時間の経過とともに、現実に起こっているとは思えない映像が流れ始めた。
朝の6時には通じていた電話が8時前には一切かからなくなった。
高熱をおし、私鉄電車の駅前まで行き、公衆電話から職場へ欠勤する連絡を入れた。
公衆電話は通じていた。助かった。
あの頃、私を含め多くの人たちは、
関東・東海地方と違い、関西地方に大地震は起こらない、
という認識を持っていた。
それが全く間違っていたことに、この時気がついた。
「活断層」という言葉も知った。
神戸市北区に住んでいた母方の叔父は、
「電子レンジが部屋の対角線上、端から端へと空中を飛んでいった。」
と言っていた。
「北区だったので被害がほとんど無かった。」とも言っていた。
西宮近くに住んでいた叔父の方が被害が大きかった。
関西学院大学に通っていた知人は、
住んでいた西宮のアパートが全壊し、
駆けつけた大家さんに助けられ、命からがら脱出した。
この地震で、多くの方々が犠牲になり、被害を受けた。
新聞には、亡くなった方々の名前や顔写真が載り、
TVには、傷つき、家や財産を失った人々の姿を、無情にも流していく。
多くの人たちの人生を変えた地震。
時々、神戸や西宮まで出かけることがある。
私の見える世界は30年前の出来事が無かったかのよう。
1月17日の朝が来る度、あの日の出来事を思い出し、
私たちにできることは何なのか、考える。
にほんブログ村
by akanesasu0124
| 2025-01-17 06:21
| つぶやき
|
Comments(0)




